感受性=生命力

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感受性とはなんでしょうか?
我々は、生きるうえでいろいろなストレスにさいなまれます。
嫌なことも辛いことも飲み込んでいかなければなりません。

ここで我々は、二つの道に分かれます。
苦しくても感じる能力を失わないで生きる道。
苦しいから感じること自体をやめてしまう道。

前者は、感受性(=生命)を大事にする生き方です。
後者は、肉体的には同じ人間ですが、果たして生きているといえるでしょうか?
感受性とは、とても大事なものだと思います。
それは「生命力」そのものと言ってもいいものです。
これこそ命がけで守らなければならないもの(良心、神)だとわたしは思います。

人はパンのみにて生くる者に非ず    (新約聖書「マタイ伝」第 4章)

「フォノグラム」とは、「感受性の正体」を現したものと言ってもよいです。
人は、嫌なことや辛いことがありますと、「殻」に閉じこもります。
最近では「箱」のなかに入るという言い方もするようです。
自己防衛本能から、意識が自己正当化をしはじめ、自分に都合のよい論理を作り出していきます。
周囲から孤立した精神状態に置かれてしまいます。
実際、そのような状態のフォノグラムを観ますと本当に「殻」に入っているように観えます。
kkkkkkkkkks(ダークサイドに堕ちてしまったキューピー。)

実際、こんな風に観えます。まるで殻に入っているようです。
丹田の気が周囲に拡散してしまっています。
いわゆる「腰抜け」の状態です。外部を警戒するあまり、緊張が解けない様子ともいえます。
必要以上に、緊張してしまっているので、飢餓感も増えます。
飢餓感を満たすために、外部に何かを求め出します。
自己充足できない(生命力のない)状態です。
感受性は麻痺し、世界が無味乾燥なものになっていきます。
六道輪廻の「地獄界」や「餓鬼界」、「修羅界」などはこの状態にあたるのかも知れません。
どうすればこの状態から抜け出せるでしょうか?
ちなみに、丹田に気を集めるようにフォノグラムを調整すると以下のようになります。

kkkkkkkkkk2(周囲の渦を消していけば、丹田位置に気が集まる。)

安心立命の状態のフォノグラムです。
私は、いついかなる時でもこのような状態にしておけるように心がけています。
この状態では、常に自己充足している状態なので、外に何かを求めるということがなく、
内側から良いものが勝手に湧いてきます。
それは、研究上の新しいアイデアだったり、
周囲の人への気配りや親切心だったり、いろいろです。
「生命力」を本当に発露させることが出来れば、誰の中にも眠っている力です。
何か、外部のもの、貯蓄や権力などが本当の「安心」をもたらすことはありません。
それはむしろ、不安や恐怖の象徴だと思います。
何かを人より多く所有することは、豊かなことかもしれませんが、
何かを生み出すほどには、豊かではありません。
「安心;生命力」は自分の中で創ることができます。
それは雰囲気として周囲に伝わっていきます。
「世界を変えていく本当の力」がここにあると、私は本気で考えています。