削り禅

マラソンランナーは走り続けると気持ちよくなるそうです。
ランナーズハイです。
ある人は、マラソンのことを「走禅」といっていました。
「座禅」 座る禅 ではなく
「走禅」 走る禅 です。

目指すところはいわゆる 三昧境 です。

単純でリズミカルな運動を継続することにより
この境地に入る方法が、古来からいろいろあります。
腕をただただ上下に振るスワイショウは太極拳の基本動作であるし
なんにしろ、単純な繰り返し運動をすると「定に入り」やすくなるのです。
一心不乱 無我無心 没我 梵我一如
いろんな言い方があります。

ヴァイオリンの共鳴版を、音を聞きながら彫るというのも
至極単純な繰り返し運動なのです。
音を聞くということだけでも
人間の体には、しっかりと、弛緩と緊張が生まれます。
これがリズミカルに続くのですから
体のほうは、軽い刺激でマッサージされているのと同じでしょう。
あくまで自分でするマッサージなので
自立的な運動ですが、これが養生になるわけです。

そして、楽器が掘り進むにつれて
こちらの体も、”彫られて”いきます
板の共鳴が強くなれば
同時に、身体内部の共鳴状態もよくなります。

気持ちよくなればなるほど、身体の共鳴状態もよくなり
ヴァイオリンの共鳴版から聞き取れる音も増えていきます。
こちらの感度が上がってしまうからです。
このようなことが ”延々” つづきます。

三昧の境地とはこういうものかな

というわけで、われわれは、これを

「削禅」

と呼んでいます。

よく、何のために楽器を作っているのか、と聞かれますが
それ自体が目的でもあるのです。
ようは、自分が気持よいからするのです。

またそうでなければよいものは作れるはずもありません。

かつて聞いた中国のお話で
親子三代にわたって、山を削り、石段を築きあげた一族がいたそうです。
別に、誰かの命令でしたわけではありません。

昔は何のためにしたのか、疑問でなりませんでした。

今では ”それ自体が目的” だったことがわかります。

無心で生きることは尊いです。

たった ”ひと時” でも

kezuri