魔法の望遠鏡(3)

bura魔法の望遠鏡(2)では、「極限」の例としてコッホ曲線を考えました。
また、「無限」は「時間」と「空間」の境界に現れることを視ました。
今回は、別の「極限」の例を見ます。
√2=1.
41421356237309504880168872420969807856967187537694
80731766797379907324784621070388503875343276415727
35013846230912297024924836055850737212644121497099
93583141322266592750559275579995050115278206057147
01095599716059702745345968620147285174186408891986
09552329230484308714321450839762603627995251407989
68725339654633180882964062061525835239505474575028
77599617298355752203375318570113543746034084988471
60386899970699004815030544027790316454247823068492
936918621580578463111596668713、、、、、、、、、

左辺の√2は空間的です。
「object」であり「一つの値」です。
さて右辺はどうでしょう?
これは永遠に続く計算の結果です。
「計算」は「√2という概念」がこの世に生まれ出た時から続いています。
今もです。
これは「時間的」です。 objectではなく計算という行為、運動が描写されているのです。
これがイコールで結ばれています。
永久に動き続ける「計算行為」をobjectとして扱うわけです。
ここで数学は「収束」する「極限値」という概念を持ち込みます。
これも「時間的」であり「空間的」である「時空的」概念の例です。
つぎに 「微分商」というものを考えてみます。
dy/dx
というものです。
Δx,Δy,Δy/Δxなどは「空間的」です。
ここでは詳しくやりませんが(解析概論参究 微分法参)
dy/dx=lim(Δx→0)Δy/Δx
ですから右辺は、永久に続く行為を表わしており「時間的」です。
左辺の「dy/dx」は「object」として扱われます つまり「空間的」に扱われます。これらがイコールで結ばれています。
これも「時空的」の例です。
「時空的」なものの特長は、無限に続く行為であるはずの「行為」が
いつの間にか「対象」そのものになってしまっていることです。
「対象」といっても「空間的」なものとは明らかに違いがあります。
関数のテーラー展開もそうです。
f(x)=Σax^n
右辺はxのべきを無限に足し合わせる「行為」「代数アルゴリズム」です。
左辺は「関数」というobjectです。
「解析学では止まっているものは一つもない
すべてが動いているものを相手にする」
というようなことを、聞いたことがあります。
「無限の行為」を「収束」という概念でおさえ
空間的概念として扱えるようにしたのが「解析学」かもしれません。
時空的概念とは、時間と空間が未分離になる境界です。
無限の計算をしている行為者がすでに、計算対象の一部に取り込まれてしまっているわけです。
この心理的障壁が解析学を難しく感じさせるものであり、
そしてまた、「豊か」な構造を持ちえる所以です。

esya2
(無限に続く行為が ひとつのobjectになってしまう)