カッツ論文との比較

数学に詳しい人ならば、「音の作る形」という論文の表題から、
「太鼓の音を聴き分けられるか?」というM.カッツの論文を想起されるかもしれません。
以下は、それについて書いた、発表用のレジュメからの抜粋です。
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カッツの研究との相違点

① M.カッツの研究
カッツは論文「太鼓の形は聞き分けられるか?」において、太鼓の音を聴くことによって、
その幾何学的形状を知ることができるか?という問題を提起した。
太鼓は「膜の振動」という物理系である。
太鼓の膜の振動はある微分方程式と境界の形状に基ずく境界条件で記述される。
その境界条件を伴う微分方程式のスペクトル(固有振動数)から、
太鼓の幾何学的形状を知ることができるかという問題である。
これは「等スペクトル問題」として、次のように数学的に定式化される。

「二つのコンパクトなリーマン多様体が与えられ、ラプラシアンの固有値が、
 重複度を含めて完全に一致しているならば、それらはIsoMetricか?」

等スペクトル問題は逆問題の特殊な例になっており、
この論文のタイトルが逆問題の有名な標語になった。
カッツの論文により明らかにされたのは、
「太鼓の音から、その面積、周の長さ、穴の数が聞き取れる」ということであった。
これらの成果にもかかわらず、境界の形状を推測できるか?
という一般的な疑問には答えられなかった。
「等スペクトル問題」のこのような問題意識は、
その後「スペクトル幾何学」として発展し、様々な研究がなされている。

② 筆者論文「音の作る形」という標題から、
カッツの研究を想起される方が多いだろうと思われる。
以下、「音の作る形」の標題の意味を明らかにし、
カッツの「等スペクトル問題」との相違点を明らかにする。

「等スペクトル問題」は、太鼓は「膜の振動」という物理系であるとし、
それが微分方程式と、その境界条件で数学的に記述できるという前提から出発している。
また、その前提からスペクトル(固有振動数)というものを考えることによって、
理論を展開するのである。太鼓といっても、
それは微分方程式の境界値として定義されるものであり、
物理的な情報はそこには一切含まれていない。
また、音といっても、それは実際の物理的な音ではなく、
微分方程式とその境界条件から導かれる、スペクトル(固有振動数)である。

カッツの「太鼓の形は聞き分けられるか?」という標題は、
純粋な数学の逆問題としての意味を込めたものであり、物理的な意味合いは全くない。
研究手法は、あくまで数学的であり、結論のすべては演繹的に導かれる。
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これに対し、「音の作る形」の表題の意味するところは、
「実際の音響的な音が物質形状を決定するという物理の問題である」
ということである。
我々の研究は、ヴァイオリンなどの弦楽器制作という、実際上の問題から出発している。
研究手法は、物理測定に基づくものであり、結論の全ては測定事実から帰納される。
そうして帰納された結論を数学的に定式化し、理論化するという数理物理学の方法である。

一般的に、材質が違えば音色は異なる。カッツの問題における音とは音色ではなく、
音の周波数(スペクトル)だけを問題にしていることについても触れておく。

楽器制作の研究は、音色の研究である。
音色についての定義はいろいろ存在するが、本稿では以下のように定義する。

「音色とは、音の周波数(スペクトル)の分布状態である」

スペクトルアナライザーを利用すれば、どの周波数がどれだけの振幅になっているのか?
が視覚的に捉えられる。

人間は音色を知覚するとき、スペクトルアナライザーのように、
各周波数に分解しているわけではなく、複数の周波数が、
重ね合わさったいわばノイズとして知覚するのである。
重ね合わさった周波数の中で、代表的に聴き取ることができる音群が、
協和関係であれば「澄んだ音色」として知覚し、不協和関係であれば、
「濁った音色」として知覚される。
また、協和・不協和という概念は、和声学から導かれるものであり、
物理学からは説明することができない。

我々の研究は、
「アウトラインの決められた共鳴板において、
 その各点における音色を同一にするように削って行くとき、
 共鳴版はどのような形状(隆起、カーブ)に収束していくのか?」
というものであり、論文「音の作る形」において、「音響対称性」なる概念を導入し、
「等音面」の物理的実証を、可能にした。
カッツ論文「太鼓の形は聞き分けられるか?」における「音」の意味は、
スペクトル(周波数)を指すものであり、「音色(上記定義)」ではない。
これに対し、筆者論文「音の作る形」における「音」の意味は、「音色(上記定義)」を指す。

現実の世界において、「音は物がなければ存在できない」という意味で、
物理学でしかありえない。
また自然界において、単一周波数の音などというものは存在しない。
存在していないものをいくら重ね合わせても、自然な音色にならないことは、
シンセサイザーの音を聴けば明らかである。
したがって、自然な音色を作りたいという楽器製作の問題が、
スペクトル(固有振動数)を出発点としても、ナンセンスである。
クラドニ法が物珍しいばかりで、楽器制作上の役に立たないのも同様な理由からである。
また、既成の物理学的事実によれば、固定端が決定されている共鳴板において、
その固有振動は決定されている。
しかし、筆者論文「音の作る形」において、固定端が同じ共鳴板でも、
各点における周波数分布は、一般的に異なっていることが示された。
これは、「膜の振動」という物理系が、微分方程式とその境界条件で表すことができるが、
実際の物理系では、そうはなっていないということの証明である。
むしろ、この微分方程式と同じように振る舞うような理想極限を、
物理系で近似する技術が、等音面の制作技術である。
したがって、実際の共鳴板に含まれる、スペクトル(固有振動数)は限定的なものであり、
そういう意味においても、カッツの研究から等音面を演繹することはできない。
等音面は、音響対称性を高くしていった理想極限として現れる幾何形状であるが、
これらの幾何形状は一意的に決定されるのである。
また、音響対称性最大の理想極限を理想等音面として数学的に定式化すれば、
それはスペクトル幾何の結果と矛盾しないはずである。
以上、カッツ論文との主な相違点について言及した。
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