違和感の基準

「違和感」という言葉があります。

たいていなんとなく感じるもので
それ以上気にしません。

「違和感」を感じる以上、 そこには何らかの基準があるはずです。

その基準は人それぞれ違うものでしょうか?

たとえば、 焼き鳥屋のちょうちんが青いちょうちんだったら
すべての人が「違和感」を感じると思います。

これは学習によって後天的に学んだ結果なのでしょうか?
それとも先天的に、本能的にもって生まれた感覚なのでしょうか?

ある心理学の本によると、ちょうちんが赤いのは、食欲を刺激する
作用があるからだという説明がされていました。

本当のところ「違和感」の基準はどこにあるのでしょうか?

もう一つ例をあげます。
音楽をしている人なら、必ずやることの一つに
音階練習があります。
単純な繰り返しで、基礎的で面白くないと感じてしまうものです。

はじめ 意味もわからずにやっていましたが これの本当の意味は
「違和感」に対する鋭敏さを養うことにあるのです。
「音が外れた」という感覚は「音が外れていない」感覚があって初めてわかる感覚です。
この感覚が養われてくると 少しでも「音が外れると」不快に感じてしまいます。
そしてこの感覚が、演奏技術を上げる契機になるわけです。

この「音が外れる」という感覚も 何かの基準からの「違和感」です。
この音の協和 不協和という感覚は 物理学では説明できないようです。

「違和感」の基準はどこからやってくるのでしょうか?

少なくともはっきりとした基準が先にあるわけではないようです。
人生とは「違和感」の連続なのかもしれません。

そして「違和感」を通じて「基準」:「神」を捜し求めているのかもしれません。